「おい、そこのお前」
「…」
「歩いて大丈夫なのか?」
「…問題ない」
そう言って、相手はふいと視線を逸らした。
本当だろうかと一瞬疑ったが、本人が大丈夫と言っているのだから大丈夫なのだろう、きっと。そう結論づけて、相手の隣に並んで歩を進める。ちらりと視線が向けられたがそんな物は知ったことではない。『偶然行き先が一緒』なだけなのだ。
実際、そうではある。彼が向かうのは自分が帰る場所と同じ所。
自分の場合はそれを酷く納得できるのだが、しかし彼の場合はそうでもないらしい。初対面の相手である自分が一体どうして『そのような場所』に向かうのかが分からないようで、二度目の視線をこちらへと寄越したりはしなかったが、全身で警戒を表しているように見えた。
だが、あえてそこは応じないことにして、歩を進める。
本当はもっと色々と聞いてみたい気持ちもあるのだが、よく考えたらこの相手がそう簡単に答えるとも思えなかった。だからあえて黙るのである。言ったところで意味がないのなら、黙っていた方が良いだろう。
それに、時間ならまだあるだろうし。
その内去るような事があるのかも知れないが、それまでに聞けばいい。
「…貴様」
と、そんな事を思っていると、ふいに隣から声が届いた。
「…一体何者だ」
「私か?私は…まぁ、トレーズ関係の者だ」
「……何だその自己紹介は」
「仕方ないだろう。私はトレーズに名を名乗ることを禁じられているんだぞ?」
「…?」
「面倒なことが起こっては嫌だからだそうだ」
「アイツがそんなことを気にするのか?」
「知らないな。そうだとしても、言われたのは間違いないのだからどうしようもないだろう」
「…大人しく従うお前もお前だ」
「そうか?…しかしな…」
仮にも現所有者様だ。言うことは聞くべきだろう。
が、それを言うわけにもいかず、結局ごまかすだけにして視線を明後日の方向にやる。すると白い目で見られたがもうそんなことは気にしないことにした。
気にしてしまったら負けだ。
何に対して負けるのかは分からないが。
そもそも負けてもあまり気にはならない気がするのだけれど。
…ともかく。
そんなことをしている間に、二人は目的地である中庭に出る扉の前に付いていた。
「…お前も、ここに用があるのか」
「少し確認をしたいだけだから気にしないでもらおう。あぁ、お前の色々やってる姿を見るのも一興かも知れないな。私はあまりトレーズ以外とは接していないから、それも新鮮と言えば新鮮だ」
「…どういう事だ?」
「それはつま…り…ッ!?」
訝しげに問われ、聞かれるがままに答えを返そうとしたら、後ろから飛んできた花瓶が後頭部に直撃して思わず言葉を詰めた。
誰がそんなことをしたのか。考える必要は、無い。
「…トレーズ?」
「……ヒイロ・ユイ、私と彼のことは気にせずエピオンの元へ行ってやってくれ。色々と整備でもしてくれるつもりだったのだろう?」
「乗った後の後始末だ」
そう言って、ヒイロは少しこちらを気にする様子を店ながらも中庭に消えた。気にしていたのはきっと、自分たちの会話の流れや様子ではなく、純粋にトレーズが花瓶を投げたという事実の意外性だけだろうが。
結果、残ったのは、自分と、トレーズのみ。
「…全く、どうしてそう簡単に説明をしようとしてしまうのか、君は」
「私にとってはコレが事実だ。嘘を言っても仕方無いだろう?」
「だが、その事実が時として人に多大な戸惑いを与えるのだよ」
「だから名前を名乗るのは控えたんだが」
「…それでは足りないのだと、そこまで言うべきかな?」
静かな言葉に顔を背けた。何か怒っているっぽい気がするのは気のせいじゃない。
それは困ると本当に思う。この相手を怒らせるのは非常にキツイものがあるのだ。正直、彼にだけは相対することが出来ない気がする。
どうやって反論をしようかと考え倦ねていると、すっと今まで吹き続けていたブリザードを押さえて、トレーズは息を吐いた。
「とにかく…今後は気をつけてくれたまえ、エピオン」
「善処はする」
そう、エピオンは頷いた。
今となっては、トレーズさんに何て事をさせたんだと後悔してます。ごめんなさい。