しくじったと、ベルフェゴールは自動販売機を前に思う。
全く、何でどうしてこの世界にはこんな面倒な物があるのだろう。自分にとって、この機械の存在は本当に有り得ない。
「カードが使えないとかマジありえね」
今、ポケットに入っているのはカードだけ。部屋に戻れば少しくらいは小銭もあったかもしれないが、あまり確定出来る話でもないから期待はしない方が良い。というか絶対に持っていないし。ということは、つまり……小銭がないと言うことであって。付け加えると札の方も持ち歩いていないわけであって。
それはイコールで、自動販売機が使えないと言うことだ。
売店に行こうかと一瞬思ったが、あのちゃちな店でカードが使えるとも考えにくい。出来るのだとしても、何だか自動販売機から逃げたみたいで嫌だ。
どうするべきだろうかと悩んで、とりあえず。
「軽く殺っとく?」
ナイフを取り出して、自動販売機を切り裂いてやろうかと薄く笑う。それが、一番楽な手段であるような気がした。そうすればカードだろうと小銭だろうと関係ないし、何よりも何本でも取りたい放題。何て素晴らしい事態だろう。
だが、それは結局考えだけで、実際になされることはなかった。
理由は簡単で、ベルフェゴールが何者かがこちらへやって来る気配を感じたからである。
その気配は消されているわけでも何でもなく、それによって相手がド素人であることが判別できる。警戒にも値しない相手だ。
しかしこの場合、相手が『一般人』であるというだけで自分は行動を制限される。沢田綱吉から送られてきた紙の文面の中には、出来るだけ騒ぎを起こすなと言う内容も含まれていたのだ。そして、守らなかったらそれ相応の罰もあると。
正直、あまり彼に従う気はないベルフェゴールなのだが……今回ばかりは大人しくしてやるべきだろうかと思う。罰とかで一日中ずっと晴れの守護者と一緒、なんて事態を引き起こされた日には……もうやっていけない。色々な、ありとあらゆる意味でやっていけそうにないのだ。
そして、それを実行しそうな雰囲気もある。
となれば…守るほかにこちらの取るべき対応はないのである。
かなり、苛つく話ではあるが。
そんなことを思っている間に足音がどんどんと近づいてきて……最終的に覗いたのは、長い前髪で顔の半分が隠れている誰かの顔だった。
その誰かはベルフェゴールが前に立っている自動販売機の、その隣の販売機の前に立ち止まって何を買おうかと選びだした。手には、黒っぽい色の財布。
あの中には小銭があるんだろうと思うと、本当に強奪でも何でもしてやりたいと思う。別に攻撃とか何もしなくても、ちょっとトロそうだし何とでもなりそうな予感がするのだが……実行しようかと指先を動かした瞬間に浮かぶのは『罰』の一文字だった。
…それさえなければ本当に実行するのに。
心の底から残念に思っている間にも隣の自動販売機に向かっていたその誰かは、財布を開けて小銭を取り出し、投入口からそれらを入れていた。
それからボタンを押そうとしたらしい手が……寸前で止まり、え?と思ったときには彼の顔がこちらを向いていた。その表情には困惑が少しばかり、うっすらと広がっているようにも見える。
彼のそんな様子を見て気付く。いつの間にかそちらを凝視していたらしいことに。
だって、仕方がないではないか。小銭がないのに、小銭を持っているのだから。
ついつい見てしまうのは不可抗力だと思うのだ。
「あの……もしかして、小銭、ないの?」
「うん。そーだけど?」
「良かったら使う?」
言って、彼は少しだけ財布から小銭を取り出して、ベルフェゴールの方に差し出した。
驚く。まさか、初対面の相手にこんなことをする人間がいるとは。
ベルフェゴールのそんな驚愕に気付かないのだろう、その男は困ったような笑みを浮かべていた。
「余ってて、ちょっと使い道が無くて困ってるから…よかったら、だけど」
「良いよ、もらってやる」
使い道がないとか余るとかいう言葉は少々不思議だが、それさえ除けば相手の申し出は実にありがたい。カードしか持っていないベルフェゴールは、こうして硬貨を手に入れることが出来るのだから。
大人しく相手の手から渡された小銭を投入口に入れて、先ほどから欲しいと思っていた飲み物の所のボタンを押す。ガゴン、と音がして缶が出てきたのを確認して、それを取ってから相手の方をもう一度見てニット笑ってやった。
「ま、お礼ぐらいは言ってあげても良いけど?」
「そんな…別に良いよ」
「王子がお礼って言ってるんだし、素直に受け取ってた方が得だと思うけど?」
じゃあね、と手を振って自動販売機コーナーから出ると、そこで丁度雲雀と鉢合わせた。
「王子様も大変だね。小銭ぐらい持ってなかったの?」
「…見てたわけ?で、何もしないとか…嫌なヤツ……って、その手のは何?」
「あぁ、これ?」
綺麗なガラスの小動物の形をした小物を見やり、雲雀は薄く笑う。
「今日はボクの誕生日だからね。スクアーロが買ってくれた」
良いでしょう、と笑いかけてくる彼に、別に、と答える。
けれど……何かちょっと悔しい気もした。
王子はカードしか持ってませんからね。