あのプリントがどこから回っていったかは知らない。
いや……プリント自体は、回っていないに違いない。弟はこの学院に在籍するどころかまだ高校生でもないし、わざわざあちらの方にまでそれを持っていくような誰かはいないだろう。郵送でも又然り。
つまり。
小十郎が、情報を流したのだ。
「…んの大馬鹿…」
心の底から呻き、政宗は打つ分背のままに手をぐ、と握った。
そんなことをしたらあの人が何をするかくらい、容易に想像が付くだろうに良くもまぁ。想像が付いても、それを小十郎が問題にしていない、ということなのだろうが。
生憎と、自分にとっては死活問題だ。
参観日というのはつまり、親が来ると言うこと。
自分の場合、親が来るというのは、学校に母が来ると言うことになる。父の方は『仕事』の関係で来ることは出来ないだろう、し。
そしてその母。
決して、来ない、などという選択肢を選ぶような御仁ではないのである。
絶対に来る。
この学院に。
そして、ここがどこかとか誰が居るとかそんなのお構いなしに、いつもの話をするに決まっているのである。
「だからそれだけは避けねぇとなんねーっつってんだろーが小十郎の大馬鹿野郎ーッ!」
誰もいない教室で叫びながらがばっと体を起こし、政宗は肩を上下させた。突然に大声で叫んでしまったものだから…妙に疲れた。
外に誰かがいただろうかと、椅子に全体重を預けながらふっと思ったが、そんなことを気にしている場合でもない。いたところで、あんな内容であれば誰だって関わり合いたいとは思わないと、思う。
人間、厄介事に首を突っ込もうとする方が少ないのである。
…その少ないのが、周りには多いのだが。
もしかしたら、それこそが現状の問題かも知れないと、頬杖をついて視線を何気なしに開いている窓の方に向ける。
外からは、部活動をしている生徒の声。
「…俺は普通に生活したいんだって何回言えば分かるんだよあの人たち…」
例えば登下校中に誘拐され掛かったり。
例えば旅行先で銃撃戦にあったり。
例えば家でのんびりしていたら爆弾もどきが投げ込まれたり。
例えばどこからともなく刃物が飛んできたり。
「…んな刺激はいらねーんだって」
そんな物がある生活よりは、今の方がまだまだマシというものだ。
それはまぁ、確かに問題は多いのだが。
登下校中には無駄にじゃれてくる大きな犬がいるし。
旅行しようとしたら勝手についてこようとするのもいるし。
家でのんびりしていたら飯をたかりに来る輩もいるし。
どこからともなく気配もなく傍にいたりする人もいるが。
こちらの方が遙かに平和だった。
それに、この生活はそこそこ楽しい。『あの』生活だって刺激があってそういう事に困りこそしなかったのだが、だからといって四六時中あれはキツイものがある。
結論。
何事も平和が一番。
そこまで結論が出たは良いが、しかし。
問題は、何が何でも母は来るであろうと言うことだった。
土曜参観だと言うし、他に親が来ればいいのだが。…いや、多分数名は来ると思う。クラスの話を聞いて、不安がらない親はいないに違いないのでその辺りの確認をしに、やってくるのは殆ど間違いないだろう。
ならば来てしまおうと悪目立ちはしないか…だが、どうだろう。もしも自分が仮病を使ってサボリでもしてみたら。…ダメか。小十郎が許さない。
母だって、絶対にそれには気付く。
父も後押しする。弟だって何だかんだで乗る…というか来るかも知れない。土曜日ということで中学校は休みだろう。従兄弟も来るかも知れないし、他にも何人か…
…八方ふさがりとは良く言ったものだ。
どうやったらこの修羅場を乗り越えることが出来るのだろうと、改めて脱力し掛かったところをどうにか堪えて、政宗は、ゆらりと席を立った。
帰ろう。今日の所はひとまず。そして参観日がある日まで、ずっとずっとどうにかする方法を考え続けよう。それしか道はない。
たとえ勝算が無かろうと。
掛け替えない平和のため。
「やってやろうじゃねぇか…っ」
呟くように津から強く断言して、政宗は鞄を持って教室から出た。
ちなみに荷物は、朝から何もしていなかったので片付けるまでもなく片付いていた。
ものすっごく苦労性っぽい政宗さん…頑張って…。