地面に背中を預けて眺める空は、何故だかいつもよりも清々しく、青い。
ぼんやりとしながら、ふと、かの天使の事を考える。自爆しては倒れるあの天使は、もしかしなくても、いつもこんな景色を見ていたのだろうか。だとしたら少々、羨ましい様な気もする。自爆をする事に対しての羨ましさは、流石に無いけれど。
しかし、自爆。
改めて思うが、あれは一体何だったのだろう。趣味以外の何物でもないのは理解しているが、だとしても、やはり疑問と言えば疑問である。
あれで死んでしまったら、とか考えたりしなかったのか。
あるいは、死んでしまってもいいと考えていたのだろうか。
だとしたら……この状況も、そう悪い物では無い。それどころか、これは、果てなく幸せなものなのではないだろうか。
ただ一人で、ただ静かに。
大切な仲間達よりも先に死に逝くことが出来るなんて。
誰かが死ぬのを見なくて済むなんて。
なんて、幸せなことだろう。
本気で、そう思った。
だから、呟いた。
今は本当に、かつてない程に満たされていたから。
「幸せ、だなぁ……」
「そんな幸せは認めない」
果たして。
聞こえてきたのは、あるはずの無い返答だった。
声のした方へとゆるゆると視線を向ければ、いつの間に来たのだろうか……そこには、良く見知った天使の姿があった。
自分の傍らで膝をついているウイングは、酷い痛みに耐えるかのような表情を浮かべていた。痛いのは自分の方なのだけれど……と、その表情の理由を知りながら戯れの様に思い、苦笑を浮かべた。そういえば、さっきから痛みがやってこないのだったか。ならば、痛いのはやはり彼の方なのだろう。
だとしたら少し、申し訳ない気もする。
しかし、こればかりはどうしようもないのだし、仕方が無いのだ。
だから諦めてもらうしかないのだが、どうやら、彼にはそんな気は微塵も無いらしい。
苛立ちと焦りを瞳に浮かべ、ウイングは、どこか必死さを感じさせる面持ちで言う。
「いいか、お前がいなくなるとオレたちは困る。特にオレは、物凄く困る。お前がいなくなったら、誰が自爆したオレを回収して手当てをするんだ」
「……自爆止めたらどーだよ?」
「断る」
「じゃあ……サンドロックくらいに頼むとかさぁ、色々、あるだろ」
「……デスサイズ、オレは」
「あー、うん、分かってる。本気で言ってるのは、理解してる」
ウイングの言葉を遮り、言う。少し、困った表情を浮かべながら。
「……だからさ、そんな顔するのは、止めて欲しいんだけど」
「どんな顔だ」
「凄く悲しそうな、顔」
「……それ以外の顔のどれをしろと言うんだ、お前は」
「笑って欲しい、かもなぁ……」
「無理を言うな」
「だーよなぁ……あはは、自分でも分かってる」
腕を組む彼に頬笑みを返しながら、何となく、彼の方へ手を差し伸べたいと思った。さて、では手はまだ動くだろうか、と微かに指先に力を込めようとしたが、結果はあまり嬉しい物では無かった。そんなに無茶な動きをするわけでもないのに、である。
ついつい、心の中で息を吐く。まったく、どうしてこんな大事な時にこの手は動かないのだろう。仕方が無いしどうしようもない事であるのに……どうしてだろうか、今は物凄く悔しい気がする。
……何だろう、ウイングが現れてから何かがおかしい気がする。それまでは特に後悔も心残りも何も感じず、けれどもひどく満たされていたはずなのだが。それが、彼を見てから少しずつ変わって来ているように思える。だって悔しいだなんて、そんなの生きたがってる誰かの感情だ。
自分は、今、死ねるというなら死にたいと思っているのに。
また妙に痛み出してきた気のする体に鬱陶しさを感じながら、今度は本当に息を吐いて、浮かべた苦笑を彼の方へ向けた。
「でも、折角人が良い気分でいるのに、その顔は無いんじゃないかとか、思うわけだ」
「……良い気分、か。なら、そう言う顔をしてみろ」
「……え?」
ソレはどういう意味なのか。
思わず目を見開いてウイングの方を見ると、彼はどこか怒った様な顔をしていた。
「気付いていなかったのか、やはり」
「……なぁ、今、オレ……どんな顔してる?」
恐る恐る尋ねると、彼は、ふい、と顔を背けた。
「……確かに若干幸せそうだがな。それ以外は全部痛そうな顔だ」
その言葉が最初にもたらしたのは、困惑だった。
痛いのは痛いに決まっている。満身創痍なのだから。あぁ、でも、もう痛みを感じなくなっていたのだったか……けれども、痛みはまた復活して……。
と。
そこで、奇妙だと思った。
無くなった痛みとは普通、こういう状況で、戻ってくるようなものだっただろうか?
黙り、考え込む間にも、彼は言葉を続ける。
「幸せなら幸せそうに笑え。その方がまだ、どちらかと言えば諦めもつく……かもしれない。だが、そんな歪な笑顔は嫌いだ。だから認めな……デスサイズ?」
……あぁ、分かってしまった。きっと自分は死にたいのに、生きたいのだ。
このまま死ねば、仲間たちにいずれ訪れるであろう死を見なくて済む。彼らを連れていかなくて済む。勿論、彼らが仕事を全うするだけの自分を責める事が無いとは知っているけれど、コレはそう言う問題ではない。自分が、そうするのが嫌。ただ、それだけの話。
しかしそうすると、もう彼らには会えなくなってしまう。
そういうのも、嫌だと思う。そう思うから、感じるはずのない痛みで体が……胸が、うずくのだ。
随分と我儘な話だが、つまりは、そういうことらしい。
言葉を止め、呆然とした表情をしているウイングの姿を視界に収め……デスサイズは笑った。
「ウイング、お前馬鹿だよ」
最後の最後にこんな事を気付かせるなんて。
囁くように呟くと、彼の手が顔に触れた。
見れば、彼は先ほどのいつの物よりも耐える様な目をしている。
「……馬鹿はどっちだ。泣くなら最初から泣け」
「あー……泣いてるんだ?」
「完全にな」
「ふーん……そっか」
それは何とも。
まぁ、ちょっと嬉しくて辛い、と言うか。
軽く頬笑みを浮かべ、目を閉じる。結構頑張った気もするし、いい加減疲れたのか瞼が重い。
もういいか、と思うと、急に全てが遠くなった気がした。彼も、世界も、自分さえも。青くて綺麗な空は、不思議と手を伸ばせば届きそうなほどに近づいた気がしたけれど。
「 ?」
と、ウイングが、何かを言った様な気がした。
しかし、もう、その言葉の意味を捕えられない。
ごめんな、と小さく呟いて。
大きな幸せと鋭い痛みを抱えて、死神は意識を手放した。
(おやすみ)
(他の奴らにもよろしくな)
しあわせないたみ。
幸せな痛み。
死合わせな痛み。
でも、死合わせだろうと幸せだろうと、結局、痛いんだよね。
以下、ちょっとしたウイング視点入ります。
「……デスサイズ?」
嫌な予感が、彼の名前を呼ばせた。
常ならば、その言葉に直ぐに応じる声があったはずだ。
しかし、今は。
「……そうか」
沈黙に目を閉じ、彼の顔に添えていない方の手を、ぎ、と握る。
彼を探しに来て、やっとの事で見付けて、けれども一目見て駄目だと分かった。傷もさることながら、彼が既に死を望んでしまっていたのに気付いたから。無理やり連れて戻れば良かったのかもしれないが、何故だろう、そうする事は出来なかった。
だからせめて、終わる時まで共に在ろうと思った。
そして今、それも終わった。
残ったのは、怒りらしい何か。
「……オレは、お前以外に連れて行かれるつもりは無い」
宣言するように呟き、目を開いて空を見上げる。
空は、嫌になる程青かった。
(おやすみ、と返すつもりなど、無い)
笑って手を振ってサヨナラって言う死神さんと。
掴んだ手を放そうともせず、また明日、って言うこともしない天使さん。