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心の破片……って、破片ってどのあたり?な、佐助さんのお話。お題に沿ってるようでそって無いのはいつものことですごめんなさい。
05:心の破片
心なんて、知るべきじゃなかったのだろう。
夜陰に紛れて走りながら、そう思って苦笑する。
馬鹿な考えだった。知る、だなんて、正しく無いのだから。心は始めから『ここ』にあった。ただそれを、自分が見ないようにしていただけ。……あるいは、捨てていただけ。
現状とは、それが見えるようになったか、返ってきたというだけのこと。知ったのではなく、取り戻した。その差は小さい様で大きいのではないだろうか。それを知るには、まずそれを知らない状況でなければならず、そんな状況なのだから知識として欲しい情報を取り込むことは容易だろう。だが、取り戻すのは時と場合によると難しい。それを捨てた本人が欲しくないと望めば、捨てたものは返って来ようとさえしないだろう。
そして、自分は後者だった。知らなかったのでは無く、捨てた側の人間だった。
それがどうしてこんな風になってしまったのかと肩を竦め、一人の顔を思い浮かべる。
力量はそれほどの、しかし未だ頼りの無い己の主君。恐らく彼が、自分が『今の自分』になった原因だろう。彼のせいで、自分は心を取り戻してしまった。
けれども、だからといって主を恨む気になれないのは何故だろう。その疑問の答えはとっくの昔に自分の中に存在している事を理解しながらも、戯れのようにそんな思考を巡らせてみる。そして、再び出た答えに笑う。やはりそれは、依然となんら変わらない結論だった。
彼が彼だから。
感情が豊かすぎる彼だから。
ありのままに心を現し過ぎる彼だから。
傍にいる自分は……影響されてしまった。
きっと、本心は棄てられる事を望んでいなかったから、影響されてしまうだけの心を、自分の中に残してしまいたのだ。それが、彼の素直さで表に引き出されたのだろう。
やれやれ、と、木の枝を蹴りながら笑う。
何のために心を捨てたと思っているのだろう、自分は。それが必要だから棄てたのでは無かっただろうか。だというのに、この様だ。
しかし、それでも悪くないと思えてしまうのだから、自分もなかなか困ったものだ。
心って大切だよねっていう話でした。多分。
あと、忍なんだから小さいころの修行とかで滅私とか色々やってたんじゃないかという勝手な思い込みからこんなお話になりました。
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