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「あれ、お友達は?」
「アイツなら帰った。っていうか友達と違うから。単なる知り合いだよ、知り合い」
「ふぅん?仲良さそうだったけどな」
「仲良くっても友達とは限らないだろ?」
だいたい、自分が友と認めるのは一人だけだと呆れつつ、とりあえず兄の前に茶の入った湯飲みを出す。茶菓子まで出す気はない。茶だけだろうと、そういう類の物を出したというその点を評価して欲しい物だ。
何せ、兄とは本当に絶縁状態だったのである。最も、それは自分が勝手に兄を無視するというか……避けていただけ、ではあるが。
まぁ、この茶にしても自分が飲むからついでに入れたに過ぎないけども。
それはそれということでお願いしたい。
「で?兄さんはどうして風呂場に?」
「んーっとな…気付いたら」
「気付いたらって…それアリ?」
「実際あったんだから、アリとしか言えないだろ」
「…それもそうか」
確かに、そうとしか説明できないような登場の仕方だった。思い返してみても、そんな感想が揺らぐことはない。ということは、やっぱりそういうことなのだろう。
奇妙なことだが、驚きはしない。世の中には異端なんて呼ばれるヒトビトだっているのだから、突然自分でも分からないままに移動することだって無いこともないだろう。自分たち人間が不思議だと思っていることだって、実は他のヒトビトから見たら普通、なのかもしれないのだし。
兄の登場の仕方については納得することにして、では、と一番気になっていることを口にすることにした。
つまり、先ほどの謝罪に関する話なのだが。
「兄さん、どうして記憶が戻ったんだ?」
「引きずられて…ってのが正しいか?」
「…は?」
「いやまぁ、俺にもよく分からないままにな…芋づる式に、ってことだな、きっと」
「きっとって言われても俺は分かんないんだけど」
「俺も分からないんだから仕方ないだろ」
いや、それはその通りなのだが。
それでも何となく憮然とした思いを味わっていると、苦笑した兄が、ともかくだ、と話を転換した。
「俺は記憶が戻った、そしてここにいる。それでもう良いんじゃないか?」
「嫌だね。俺は絶対に納得しても納得しきらないからな」
「んな事言われてもな…」
困ったように頬をかく兄に、ほんの少しざまぁみろという気持ちを抱く。こうして顔を見合わせて茶を飲んだりしているけれど、だからといって溝を全て埋めてやるつもりはないのである。
それは兄も分かっているようで、ため息を吐きこそすれ、それに関しての文句は何も言わなかった。
「じゃあ話を変えるけど、兄さんはこれからどうするんだよ」
「とりあえず宿の方に戻るかな。さっきも言ったけど、突然出てきちまったし」
「ま、別に良いんじゃないか」
そうしてくれて、別にこちらに問題はないし。兄がいなくなったら帰ってしまった知人の所を尋ねるのも良いかもしれない。
けれどもそれは後にすることにして、今は、自分の家を後にする兄を、一応でも見送ってやることにしよう。