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シリアスです。十年後綱吉とボンゴレについて。



024:墓場
 
 
 
 この組織のために死んだ人の数は、果たしてどれほどになるだろうか。
 最近、ふと、そんな事を思う。
 書類に筆記具を走らせている時、来客と会話をしている時、ボンゴレ十代目としてどこかへ赴く時、誰かが生き残った時、誰かが死んだ時。そんな時に何となく、思うのだ。この組織は一体何人、人を殺してきたのだろうかと。
 こんなに大きな裏の世界の組織だ、ほんの少しの犠牲では、今日と言う日まで存続はしてこなかっただろう。望む望まないに関わらず、この場所を残し続けようとする限り、敵を殺す事や仲間を殺す事を止める事は出来なかったに違いない。
 かつてボンゴレを束ねてきた彼らは、その事実をどう受け止めていたのだろう。
 嘆いていたのだろうか。無関心だったのだろうか。
 苦しんでいたのだろうか。楽しんでいたのだろうか。
 弱さを蔑んでいたのだろうか。強さを疎んでいたのだろうか。
 助けたいと思っただろうか。殺したいと思っただろうか。
 救いたいと思ったのだろうか。陥れたいと思っていたのだろうか。
 どう思っていたのだろうか。
 そして、自分は。
 果たして、自分はどう思っているだろう。
 ボンゴレの頂点に立つようになってから何年も経った。恐らく、数多くの死によって、普通ならそろそろ感覚が麻痺してくる頃だろう。諦めを覚えて、仕方が無いと首を振って、自分のせいではないと周りに全てを押しつける事だってあるかもしれない。
 けれども。それでは駄目なのだと誰かが言っていた気がする。
 それでは、ボンゴレの長になることなんて出来はしないと。
 その言葉の通り、綱吉の感覚はいまだ健在だ。人が死ねば悲しいし、目を逸らしたい。しかし目を逸らすわけにはいかないと、無理にでも瞼を上げて惨状を見る。それが、自分の責任だと思っているから。この場所に立つと決めた瞬間に、自分で背負った義務だと理解しているから。だから。
 多分、これからも自分は思うだろう。何人、人が死んだかと。
 そしてきっと、そのたびに悲しみを覚えるのだ。
 





ボンゴレという組織は、ある意味で墓場と同義語だろうかとふっと思ったので。
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